島根県大田市大森町「石見銀山」へ。
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)
慶長(1610年)の頃には、世界の3分の1の銀の産出量を誇り、人口20万人、寺院の数100ヶ寺に及び、京や堺に負けぬにぎわいとなった。

天候は曇り時々雨

模型で説明を受けました。

龍源寺間歩へ。600以上ある間歩の中で唯一公開されています。


入り口(開掘の長さは600m、公開されているのは156m)

1715年に開発され、昭和18年まで実に228年、開発され続けました。

壁面に残ったノミの跡が当時を物語っています。

鉱脈に沿って掘り進んだ穴が所々にあります。

途中、疲れた観光客用に折りたたみイスが。

石見銀山は江元禄期になると次第に産出量が少なくなり、江戸末期には深く掘らなければ銀を産出できなくなり地下水にも悩まされ採算がとれなくなっていった。1943年(昭和18年)の水害で坑道が水没する大打撃を受け、完全閉山となる。
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)
慶長(1610年)の頃には、世界の3分の1の銀の産出量を誇り、人口20万人、寺院の数100ヶ寺に及び、京や堺に負けぬにぎわいとなった。

天候は曇り時々雨

模型で説明を受けました。

龍源寺間歩へ。600以上ある間歩の中で唯一公開されています。


入り口(開掘の長さは600m、公開されているのは156m)

1715年に開発され、昭和18年まで実に228年、開発され続けました。

壁面に残ったノミの跡が当時を物語っています。

鉱脈に沿って掘り進んだ穴が所々にあります。

途中、疲れた観光客用に折りたたみイスが。

石見銀山は江元禄期になると次第に産出量が少なくなり、江戸末期には深く掘らなければ銀を産出できなくなり地下水にも悩まされ採算がとれなくなっていった。1943年(昭和18年)の水害で坑道が水没する大打撃を受け、完全閉山となる。
# by henro429 | 2010-05-27 21:12































